美のタイム・トラベルへの誘い
美術と他の芸術との違いはどこにあるのでしょうか?洞窟壁画にしても、ギリシア彫刻にしても、飛鳥時代の仏像にしても、経年による外見の変化こそありますが、“モノ”として今も存在し続けており、観る者の心に直接訴えてきます。
それは時の隔たりを忘れてしまうほどです。
さらに作品には、もう一つの重要な側面があります。
どのような作品であっても、それは“時代の鏡”であり、それを生み出した社会のありようを反映しています。
たとえば、市民階級が成熟して美術の主な受容者に成長した17世紀のオランダでは親しみやすい分野である風景画、風俗画、静物画が独立して流行しました。
また、江戸時代の日本でも庶民に浮世絵が受け入れられて大いに発展を遂げました。
作品は“美術それ自体の歴史”にも深く組み込まれています。
一見どれほど独創的に見えようとも、程度の差こそあれ、過去に生み出された作品の伝統に連なっているからです。
作品の真の理解には、美術の歴史を知ることは不可欠です。
加えて、作品は“時代に規定されている”と同時に、“時代を超越した存在”でもあります。
さまざまなアプローチを通じて多角的に作品を理解することを目指したいと考えます。
西洋美術
古代から現代まで欧米圏で制作されてきた様々な造形作品の歴史と展開を、それぞれの時代や社会のあり方に照らしつつ多角的に学びます。作品を感覚で捉えるだけでなく、その形態や構図を分析し特徴を言葉で記述すること(様式分析)、作品の意味作用(図像学、図像解釈学、記号論)や多様な機能、受容のあり方を考察しつつ、作品に向き合う柔軟な思考を培います。
日本・東洋美術
今日まで、日本や東洋にはさまざまな形の美術が生み出されてきました。日本美術では様式変遷とその歴史的背景を振り返ります。東洋美術では日本美術と関係の深いもの―仏教美術や水墨画、工芸ほか―に焦点をあて、その理解を深めるとともに、日本美術との比較を通して互いの特色を考えます。
カリキュラム 授業メニューの一例
- 西洋の文芸と美術A
- ギリシア神話や聖書から20世紀までの古典的テクストと美術との対比により、その共通点と相違点を学びます。
- 日本・東洋の文芸と美術A
- 室町~江戸時代の美術と関連する日本や中国の文芸作品をとりあげ、その具体的関係について学びます。
- 基礎演習Ⅰ
- 西洋美術の専門用語を身につけ、それらの根底にあるそれぞれの時代の価値観を学びます。
- 芸術鑑賞の方法Ⅰ
- 「何が表され、それが何を意味しているか」を探る図像学(イコノロジー)の基礎を学びます。
水野 千依
京都大学大学院文学研究科美学美術史学専攻博士後期課程単位取得退学、フィレンツェ大学、日本学術振興会特別研究員、京都造形芸術大学教授を経て、2015年より現職。博士(人間・環境学)。専門は、イタリア中・近世美術史・芸術理論。主著・共著に、『イメージの地層』(名古屋大学出版会、2011年)、『キリストの顔』(筑摩書房、2014年)、『聖性の物質性』(三元社、
2022年)、『はるかなる「時」のかなたに』(同、2023年)、主な訳書に、ディディ=ユベルマン『残存するイメージ』(人文書院、
2005年)、セヴェーリ『キマイラの原理』(白水社、2017年)など。『イメージの地層』で、第34回サントリー学芸賞、第1回フォスコ・マライーニ賞、他受賞。
西洋の美術、なかでも中世からルネサンスにかけてのイタリア美術史を専門に研究しています。
目下、フラ・アンジェリコについての単著を執筆中です。美術作品というと、私たちはまず「美しいもの」として鑑賞する対象だと考えがちです。しかし、Artという言葉が「美術」を意味するようになったのは近代以降のことで、古くは「技芸」をさしていました。現在、美術館に収められ、鑑賞対象として眺められている作品の多くは、かつては崇拝対象だったり、神への捧げ物だったり、呪術力や奇跡力など、美的価値にとどまらない力をそなえ、見るものに、崇敬、畏怖、祈願、呪詛、魅惑…と
いった多様な感情をかき立ててきました。私は、こうした近代以前の造形物を、伝統的な美術史学の手法で理解するとともに、それらがかつて人々の生活のなかでいかに息づき、いかに人々にはたらきかけてきたのかを、歴史人類学的視座から考え直したいと思っています。それぞれの時代がいかにイメージを生きてきたのかを問うことは、同時に、何を「美」としたのかを理解することにもつながります。西洋美術の歴史を辿りながら、イメージと人間が取り結ぶ豊かな関係を一緒に考えていくことができれば幸いです。
目下、フラ・アンジェリコについての単著を執筆中です。美術作品というと、私たちはまず「美しいもの」として鑑賞する対象だと考えがちです。しかし、Artという言葉が「美術」を意味するようになったのは近代以降のことで、古くは「技芸」をさしていました。現在、美術館に収められ、鑑賞対象として眺められている作品の多くは、かつては崇拝対象だったり、神への捧げ物だったり、呪術力や奇跡力など、美的価値にとどまらない力をそなえ、見るものに、崇敬、畏怖、祈願、呪詛、魅惑…と
いった多様な感情をかき立ててきました。私は、こうした近代以前の造形物を、伝統的な美術史学の手法で理解するとともに、それらがかつて人々の生活のなかでいかに息づき、いかに人々にはたらきかけてきたのかを、歴史人類学的視座から考え直したいと思っています。それぞれの時代がいかにイメージを生きてきたのかを問うことは、同時に、何を「美」としたのかを理解することにもつながります。西洋美術の歴史を辿りながら、イメージと人間が取り結ぶ豊かな関係を一緒に考えていくことができれば幸いです。
池野 絢子
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。専門は西洋を中心とした近現代美術・視覚文化。とくに20世紀イタリアの美術を研究している。単著に『アルテ・ポーヴェラ̶̶戦後イタリアにおける芸術・生・政治』(慶應義塾大学出版会、2016年)。分担執筆に木俣元一・松井裕美編『古典主義再考Ⅱ 前衛美術と「古典」』(中央公論美術出版、
2021年)小田原のどか編『彫刻2̶̶彫刻、死語/新しい彫刻』(書誌九十九、2022年)など。
西洋を中心とした近現代美術を研究しています。20世紀美術の面白いところは、「美術」という枠組にはおさまりきらない越境的な性格を持っている点です。従来の「美」という価値基準では理解できない、びっくりするような作品がたくさん生まれました。私はそうして生み出された芸術作品が、政治や社会と切り結ぶ関係に興味を持ち、第二次世界大戦後の美術を例に研究してきました。最近では、世界大戦下の前衛芸術の変容に関心を寄せています。
現代美術は難しい、わからないと評判ですが、そもそも歴史上、あらゆる美術はかつて現代美術でした。今は名画とか傑作と呼ばれる作品が、発表当時には批判の対象であったことも少なくありません。頭と心と眼を柔らかくして、未知の、新しい価値を理解する楽しさを知ってもらえたらと願っています。
現代美術は難しい、わからないと評判ですが、そもそも歴史上、あらゆる美術はかつて現代美術でした。今は名画とか傑作と呼ばれる作品が、発表当時には批判の対象であったことも少なくありません。頭と心と眼を柔らかくして、未知の、新しい価値を理解する楽しさを知ってもらえたらと願っています。
津田 徹英
慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得済退学。のち同大学より博士(美学)を取得。専門は日本彫刻史、密教図像学。研究対象と関心は、とくに東アジアの文物交流を見据えつつ、奈良時代から平安時代(8世紀~12世紀)に及ぶ密教彫刻とそれにかかわる文化事象を研究の中心に据えている。さらに、中世(鎌倉・南北朝時代)の異形の神像と肖像研究(彫刻・絵画)、絵巻研究にも及んでいる。単著に『中世の童子形(日本の美術442)』(至文堂、2003年)、『平安密教彫刻論』(中央公論美術出版、2016年)、編著に『組織論―制作した人々(仏教美術論集)』(竹林舎、2016年)、共著に『アジア仏教美術論集 東アジアⅦ(アジアの中の日本)』(中央公論美術出版、2023年)ほか多数。
これまで様々な機会に様々な作品を知る機会はあったと思いますが、果たして、その実物を見たことはあるのでしょうか? 美術全集や図録で作品を見ることは、その作品を知るきっかけになります。しかし残念ながらそれは本当の作品との出会いではありません。まずは美術館・博物館あるいは神社仏閣の宝物館などに足を運んで、実物の前に立って自分の眼で見て対象を感じ取ることからはじめましょう。図版で見ているだけでは気がつかなかった新しい発見がそこには必ずあります。作品を前にして「いいなあ」と心惹かれたら、次は何故、自分はそれに魅力を感じたのか、内なる自分に真摯に問ってみることです。人は誰もが同じようには感じ取っている訳ではありません。そこに個性があるといっても過言ではありません。かつ、数多く見ることで経験値が上がり、感性が研ぎ澄まされて行きます。対峙した作品のどこを見るべきかは自然と身についてゆくはずです。それが鑑賞の望ましいありようであり、“作品の前に立つ”ということなのです。
出光 佐千子
慶應義塾大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得済退学。博士(美学)。専門は日本絵画史。研究テーマは、江戸時代の水墨画の巨匠・池大雅の風景画をめぐる詩と画の鑑賞サークル。現在は、大雅が憧れた室町水墨画や、近代南画(小杉放菴)、人々の暮らしを描いた風俗画にまで関心が広がる。著書に『池大雅「真景」論攷』(中央公論美術出版、2023年)、展覧会図録『生誕300年記念 池大雅ー陽光の山水』(出光美術館、2024年)、共著に『風俗絵画の文化学』Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ(思文閣出版、2009年、2012年、2014年)。
入学して来る1年生のほとんどは、日本美術にあまり触れたことがないはずなのですが、1年生の授業の終わる頃には、「この屏風にしびれました。」と、こちらの期待以上の良い作品を選んで、文章を書いてきてくれます。今まで知らなかっただけで、皆さんの中に眠っている日本人の感性が目覚めるからなのでしょう。水墨画もじっくり鑑賞すると、筆の動きや墨の濃淡によって、光や大気のうつろいや、川のせせらぎなど、日本人の心の琴線に触れる何かが立ち現れてくるのです。授業では、画だけではなく、添えられた詩や書の鑑賞を通じて、時代を超えて生き続けている名画の力を一緒に味わい、「かたち」に隠された古典文学や享受者のまなざしについても考えていきたいと思います。
知の源泉を訪ねる旅に出よう
かつてヨーロッパで生まれ、長年にわたって発展した音楽を、我々は一般的に「クラシック音楽」と呼び慣わしています。この「クラシック」という言葉は、広義には古代ギリシャに遡る芸術作品、とくに時代の風雪に耐えて生き残ってきた名作、すなわち「古典」作品を指しています。
もっと狭い意味においては、18世紀後半から19世紀初頭、数十年の間に、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンという、綺羅星のごとき音楽家が次々と活躍し、後世に遺る名作を書いた時期も「古典派」と呼ばれています。
これは、とりもなおさず、この時期に生まれた音楽が、現代において次々と生まれる音楽の基礎であることも意味しているのです。
すなわち、「古典」を学ぶことは、現代社会に住む我々が享受している文化を知るために避けては通れない道なのです。
故きを温めて新しきを知る。
由緒ある、音楽という名の学問に、あなたもともに取り組んでみませんか。
西洋音楽
古代ギリシアから現代にいたる西洋音楽について、名曲を学ぶことはもちろん、政治・宗教や他の芸術との関係、音楽理論や楽譜の変遷、音楽家という職業、楽器とその演奏法、楽譜出版・演奏会、録音技術の影響など、多角的な視点から考えることにより、音楽芸術についての幅広い知識と鋭い洞察力を養うことをめざします。
日本・東洋音楽
日本や東洋には様々な楽器や歌による音楽、仮面舞踏や音楽劇のような他の芸術と関連した多種多様な音楽があります。これらを理解し、その音楽を生み出した人々の美意識や社会的背景、各楽器や楽譜などの伝承方法と現代への変化の過程などを比較・検証することで、人間と音楽の関係を考え、豊かな感性を養うことを目指します。
カリキュラム 授業メニューの一例
- 西洋の文芸と音楽A
- 古代から現代にいたる西洋音楽の歴史を広い視野でたどります。
- 日本・東洋の文芸と音楽A
- アジア諸民族の音楽との比較を通じて日本人の感性をさぐります。
- 基礎演習Ⅱ
- 音楽研究に必要な理論や調査法の基本を学びます。
- 原書講読Ⅱ
- 英語で書かれた音楽文献を読む力を養います。
- 芸術鑑賞の方法Ⅱ
- 西洋音楽や日本伝統音楽の古い楽譜の解読や演奏を試みます。
- 比較芸術学特講Ⅱ
- オペラ、ベートーヴェン、伝統芸能などテーマを特化した講義をおこないます。
那須 輝彦
立教大学大学院文学研究科博士後期課程退学、ケンブリッジ大学大学院修士課程修了(Master of Philosophy)。中世からバロック時代にかけての音楽、とくにイギリスの教会音楽史と中世の音楽理論を専攻。著作に、『ヘンリ8世の迷宮~イギリスのルネサンス君主』(共著、昭和堂、2012年)、『15のテーマで学ぶ中世ヨーロッパ史』(共著、ミネルヴァ書房、2013年)、『ミクロログス(音楽小論)』(共著、春秋社、2018年)など。
中世ルネサンス〜バロック時代の音楽を研究しています。中世の音楽理論などと聞くと、遥か昔の難解きわまる話に聞こえるでしょう。でもじつは西洋音楽の根本を考えるということなのです。たとえばピアノの白鍵と黒鍵はどうしてああいう並び方をしているのか、ドレミの階名は誰がどうして考えたのか、音の高さやリズムを書き表すためにヨーロッパ人はどのような工夫を重ねてきたか……。当時の人々の立場に立ってその思考経路を追体験するのはとてもスリリングなことです。もちろん当時の音楽作品も素晴らしい。吟遊詩人が綴った愛の歌、ゴシック大聖堂に響いていた絢爛豪華なア・カペラの教会音楽、宮廷舞踏会を彩った典雅な舞曲……。みなさんにとって未知の傑作がどれほどあることでしょう。過去千年におよぶ音楽の宝庫に足を踏み入れ、感動し、名作がどのように作られたのか、誰によってどのように演奏されていたのか、音楽の知の探求にでかけようではありませんか!
広瀬 大介
一橋大学大学院言語社会研究科・博士後期課程修了。博士(学術)。専門は19世紀後半〜20世紀前半のドイツ・オーストリア音楽、とくにオペラについて。著書に『リヒャルト・シュトラウス 自画像としてのオペラ』(アルテスパブリッシング、2009)、『帝国のオペラ』(河出書房新社、2016)、『オペラ対訳×分析ハンドブック シュトラウス/楽劇 サロメ』(アルテスパブリッシング、2022)など。
私が大学生の頃、1990年代は、毎年のように海外から歌劇場が来日し、豪華極まりないオペラの数々を上演していました。クラシック音楽好きではありましたが、器楽を聴いたり弾いたりすることにしか興味がなかった当時の自分にとって、これらの上演は文字通り「衝撃」のひとこと。どうしてここまでひとの心を揺さぶる音楽が生み出せるのか、その秘密を探りたい一心で、気がついたら四半世紀以上が経っていました。芸術には、ひとが自分の一生を捧げるに充分な魅力がある、と、いまならば断言できます。同じ情熱をもった学生さんにめぐり会えるこの場に身を置くことができて、いま私はとても幸せです。
「ほんもの」を鑑賞し、芸術の目利きをめざす
演劇映像の領域では、演劇と映像という総合芸術の鑑賞・研究を通して、芸術の真価やその人生における意味を見きわめる目を養うことを目的とします。現代の社会を生きる私たちの周囲には、生の舞台芸術はもちろんのこと、映画やテレビのようにメディアを利用した劇的芸術が氾濫しています。
そうした演劇や映像の芸術をよりよく理解し、またそこから深い感動を味わうために、私たちは何をなすべきでしょうか?
演劇映像の名作に触れ、ほんものだけがもつ感動を味わうのが第一歩です。
そして、古典のテクストをじっくりと読み込み、たしかな知識と鑑賞力を育むことが肝要です。
演劇は人類の歴史とともに歩んできました。
舞台芸術、およびメディアを活用した映像芸術が成立するためには、多くの専門家が集い、各自の持てる力を十分に発揮することが不可欠です。
まさに総合芸術といわれる所以です。
総合芸術としての演劇映像には、多様な鑑賞と研究の方法がありえます。
古今東西の演劇映像の世界を、美術や音楽との比較を通じて学び、演劇映像が人類の文化や歴史において果たしてきた役割について考えていきましょう。
日本古典芸能
日本における芸能や演劇の歴史について学び、広い視野の上に立って、歌舞伎や能楽など各時代の事例を取り上げます。わが国には古来どのような芸能や演劇が存在してきたのでしょうか。また近代への移行期には、西洋文明や文化との出会いによって、日本の演劇はどのような変化をとげてきたのでしょうか。芸能と演劇の概念やその関係、また芸能の場や劇場形態、芸能者や俳優、観客などの諸問題を考えます。
西洋演劇
ヨーロッパの古代から現代まで2000年以上におよぶ西洋演劇の歴史を把握し、上演を前提としたテクスト(戯曲)の読解を行います。演出家、制作者、役者、舞台美術家、音楽家など演劇にたずさわる人々の仕事を学び、演劇に関するさまざまな視座を構築することを狙いとします。芝居が上演された時代や社会背景に留意しつつ、舞台芸術の本質を追究していきましょう。
映像・映画
無声からトーキー、白黒からカラー、フィルムからデジタルへと、たゆまなく過激な変化をとげてきた現代のメディアの世界を研究の対象とします。映像、音響、時間、編集、鑑賞環境といった諸テーマを設定しつつ、映像や映画を批判的に学ぶ眼力を養います。さらに、映像メディアの誕生と発展が、今日の社会におよぼした影響についても考究していきます。
カリキュラム 授業メニューの一例
- 西洋の文芸と演劇映像A
- ヨーロッパの古代から現代へいたる劇場の歴史をたどり、演劇様式の変遷を学びます。
- 日本・東洋の文芸と演劇映像A
- 能・狂言、人形浄瑠璃や歌舞伎がどのように生まれ、発展したのかを追究します。
- 基礎演習Ⅲ
- 演技や演出の基礎を学び、舞台や映像の魅力を多角的に学びます。
- 芸術鑑賞の方法Ⅲ
- 歌舞伎役者や歌舞伎の舞台について学び、名舞台を鑑賞します。
佐藤 かつら
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。鶴見大学文学部専任講師、同大学准教授を経て2012年に青山学院大学文学部に着任。専門は日本芸能史、特に近世近代移行期の歌舞伎。著書に『歌舞伎の幕末・明治―小芝居の時代』(ぺりかん社、2010年)、共著に『円朝全集』第一・十・十二巻(岩波書店、2012年・2014年・2015年)等。近年の論文に「女役者と近代―その出発点」(『アジア遊学』232,2019年3月)ほか。新潟県生まれ。小さいころから祭礼の芸能を喜んで見物していたことが、今思えば、歌舞伎の研究をしている自分の原点となっています。
歌舞伎を研究しています。主に幕末から明治期の変革期の歌舞伎が対象です。西洋文化の衝撃を受けて変化していく歌舞伎のあり方、かつてはいた女性の歌舞伎俳優のゆくえなど、興味は尽きません。
授業では歌舞伎に限らず、能・狂言、人形浄瑠璃(文楽)、落語などの古典芸能を担当しています。新入生の多くのみなさんにとって、私の担当分野はなじみが薄いものでしょう。しかし私自身、初めて歌舞伎を見たのは大学二年生の時でした。その衝撃はいまも忘れません。出会いはどこに転がっているか、誰にもわかりません。どうか自ら壁を作らず、いろいろなものを見聞きし、体験してください。
日本の古典芸能の魅力がみなさんに伝わるよう、私も最大限努力していきたいと思います。
授業では歌舞伎に限らず、能・狂言、人形浄瑠璃(文楽)、落語などの古典芸能を担当しています。新入生の多くのみなさんにとって、私の担当分野はなじみが薄いものでしょう。しかし私自身、初めて歌舞伎を見たのは大学二年生の時でした。その衝撃はいまも忘れません。出会いはどこに転がっているか、誰にもわかりません。どうか自ら壁を作らず、いろいろなものを見聞きし、体験してください。
日本の古典芸能の魅力がみなさんに伝わるよう、私も最大限努力していきたいと思います。
三浦 哲哉
東京大学大学院総合文化研究科超域文化研究科表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。専門はおもにアメリカとフランスの映画表現論、食文化論。著書に『自炊者になるための26週』(朝日出版社、2023年)、『LAフード・ダイアリー』(2021年)、『食べたくなる本』(2019年)、『『ハッピーアワー』論』(2018年)、『映画とは何か──フランス映画思想史』(2014年)、『サスペンス映画史』(2012)。共著に『オーバー・ザ・シネマ――映画「超」討議』(2018)。
おもにアメリカとフランスの映画表現について研究しています。
映画が生まれたのは19世紀末で、130年近い歴史を持っています。時代ごと、地域ごとにまったく異なる美しさがあります。たとえば1920年代までのサイレント映画にしかない、純粋な視覚体験の迫力があり、1930年代の(テレビ普及以前です)真の黄金時代ならではの端正な構成美があり、1950年代フランスに生まれた現代映画のまばゆいばかりの瑞々しさがあり……等々。個性豊かな映画作家たちが、歴史を彩ってきました。授業では、演出・演技・撮影・美術・音響・特殊効果などさまざまな観点から、多種多様な映画のよろこびを学生のみなさんと共有したいと思っています。
映画が生まれたのは19世紀末で、130年近い歴史を持っています。時代ごと、地域ごとにまったく異なる美しさがあります。たとえば1920年代までのサイレント映画にしかない、純粋な視覚体験の迫力があり、1930年代の(テレビ普及以前です)真の黄金時代ならではの端正な構成美があり、1950年代フランスに生まれた現代映画のまばゆいばかりの瑞々しさがあり……等々。個性豊かな映画作家たちが、歴史を彩ってきました。授業では、演出・演技・撮影・美術・音響・特殊効果などさまざまな観点から、多種多様な映画のよろこびを学生のみなさんと共有したいと思っています。
井上 由里子
大阪大学大学院文学研究科美学文芸学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(文学)。静岡文化芸術大学専任講師、同大学准教授を経て2023年に青山学院大学文学部に着任。専門は西洋演劇史、とくにフランスの現代演劇。共著にValère Novarina. Les tourbillons de l’écriture (Hermann, 2021), La république des traducteurs. En traduisant Valère Novarina( Hermann, 2020)など。共訳書に『シャルロット・ペリアンと日本』(鹿島出版会、2011年)。
西洋演劇、とくにフランスの現代演劇における古典の受容について研究しています。
日本の公教育には演劇が導入されていないため、西洋演劇の古典と言われてもピンとこないかもしれません。けれどもブロードウェイ・ミュージカルの『マイ・フェア・レディ』や『ライオンキング』の背景をひもといてみると、そこには西洋演劇から東洋の伝統芸能まで、じつに様々な古典の技が息づいています。テレビや映画でおなじみの「ドラマ」も、語源をさかのぼれば、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの演劇論『詩学』にたどりつきます。どうやら私たちは知らず識らず東西の演劇の古典を吸収しているようです。
授業では、劇場にも足を運びながら、今を生きる古典の瑞々しさを味わい、皆さんとともに学びを深めていければと願っています。
日本の公教育には演劇が導入されていないため、西洋演劇の古典と言われてもピンとこないかもしれません。けれどもブロードウェイ・ミュージカルの『マイ・フェア・レディ』や『ライオンキング』の背景をひもといてみると、そこには西洋演劇から東洋の伝統芸能まで、じつに様々な古典の技が息づいています。テレビや映画でおなじみの「ドラマ」も、語源をさかのぼれば、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの演劇論『詩学』にたどりつきます。どうやら私たちは知らず識らず東西の演劇の古典を吸収しているようです。
授業では、劇場にも足を運びながら、今を生きる古典の瑞々しさを味わい、皆さんとともに学びを深めていければと願っています。